上賀茂神社
水曜日, 4月 7th, 2010神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)[右図]に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営されました。本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。
嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。
神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)[右図]に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営されました。本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。
嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。
奈良時代。天武天皇の第一皇子は、夢に出てきた龍神さんから「打出」と「小槌」をもらったそうだ。これで左の手の平を叩けば果報がもたらされる、という。それから数十日後に、皇子は天皇の位を譲り受け聖武天皇となった。天皇は行基に命じ、景勝地「山崎」に小槌を奉納する寺を建立した。それが、宝寺とも呼ばれる「宝積寺」だ。後にこの寺で修行したと伝えられるのが、「一寸法師」。みごと鬼を退治し、打出と小槌で立派な若者にしてもらったのは周知の通り。また、豊臣秀吉がそこに座して天下統一を考えたという「出世石」も残される。さて打出と小槌が授けるものは、野望をかなえる「運」であろうか。いまも、運を授かりに多くの人が訪れる。
天照大御神を祀る茅部神社の由来に「本居磐座にます神社は、聞茂威志(きかまくもかしこき)天照大御神にまし座(ます)が故に、天上の儀に像(かたどり) て天磐座(あめのいわくら)と奉レ稱也」とあります。この茅部神社の奥にある山は岩倉山と言われ、その中腹に天の岩戸があります。
住所:〒689-4105 鳥取県西伯郡伯耆町久古1484-1
TEL : 0859-68-3091
※休業日 土・日・祝・年末・年始・GW・お盆等予告無くお休みする場合があります.
大中遺跡は、1962年に発見された弥生時代中期から古墳時代中期(約1800年前)の遺跡で、いろいろな形の竪穴住居跡が約60棟ほど発見されています。
特に、大量に出土した飯蛸つぼ(イイダコを獲るための蛸壺)や土製のおもりから当時漁業が盛んだったことが想像されます。
敷地内には、茅葺の住居が2棟復元されています。
播磨町郷土資料館
大中遺跡に隣接し、大中遺跡の出土品や資料などの展示。
また、歴史講座・古代体験教室などが実施されています。
開館 10:00~18:00(4~9月)
10:00~17:00(10~3月)
休館 月曜日、毎月10日、第4日曜日、祝日の翌日
年末年始(12月28日~1月4日)、特別展前後
〒675-0142
加古郡播磨町大中396-1 Tel. 0794-35-5000